2013年03月05日

ランニングと音楽

音楽を聴きながらランニングをする人は多い。

公園や河川敷のような場所だけではなく、街中を走っている人がイヤホンを着けているのを見ると危ないなと思うが、そういう人はわりとよく見かける。レースでもフルマラソンなどの長い距離になるとイヤホンを着けている人をしばしば見かける。

音楽は曲を適切に選ぶと気持ちを落ち着かせる効果や、逆にテンションを上げる効果もあったりして、スポーツのパフォーマンスにプラスになる場合は確かにあるようだ。試合前の選手がアップの時にイヤホンを着けている光景は、ランニングに限らずスポーツ全般において良く見かける。

中でも有名なのは、高橋尚子選手がシドニー・オリンピックの本番前に、イヤホンを着けて踊って、歌っている光景。日本人のトップアスリートにこんな選手がいるのかと、多くの人たちが驚いた

私は子供の頃から音楽が好きだが、ランニング中にイヤホンを着けたことはほとんど無かった。20年以上前に、ランナーのための音楽というようなタイトルのカセットテープが売り出されて、それをウォークマン(その頃はiPodのようなものはまだ無かった)に入れて聞きながら走った事が何度かあったが(もちろんレースではなくて練習)、ランに集中できないような気がしてほんの数回だけでやらなくなった。

それ以降はiPodシャッフルのような小型プレーヤーが登場しても走りながら音楽を聴きたいとは思わなかったが、昨年、とある文章に出会って、速攻で耳掛け型のMP3ウォークマンを購入した。

その文章の内容を簡単に言うと、『マラソンのような時間のかかる持久型スポーツの場合はエネルギー消費の効率が重要だが、実は人間は脳で非常に多くのカロリーを消費している。余計なことを考えないようにした方が脳での無駄なカロリー消費を抑えられるが、それには音楽を聴きながら走るのが良い』というものであった。

なかでも勉強や仕事、スポーツなどに集中している時に現れる『シータ波』の波長が効果的とのことで、さっそくネットでそういうタイプの音楽を何曲かダウンロードして試してみた。

私自身の感覚では、どちらが先かはわからないが、タイムが落ちてきてからランニング中につまらない事をくよくよ考えることが多くなったように思う。そこでこのような無駄な邪念を減らしたいと考えて試してみたのだが、結果的にはあまり効果が感じられなかった。

何故かと言うと、BGMのようなサウンドはいつの間にか音楽を聴かずに、いつものように頭の中を邪念が駆け巡っている状態になってしまうのだ。音楽そのものが自分の興味のタイプではないので(嫌いというわけではないが)、外の雑音と何ら変わらない音でしかなくなってしまっている。

そこで、シータ波にはこだわらずに好きなタイプの音楽を入れて聴くことにしてみた。確かにこちらの方が音楽を聴いている感じがするが、ランニングのために曲を選んでいるわけではないのでリズムは一定しないし、曲の調子も様々に変わる。普通のアルバムCDをそのまま入れているので当然のことだ。ただ、音楽に気持ちを向けるという意味ではこちらの方が私には良さそうだ。

レースで効果があるかどうか試してみようと思って、淀川市民マラソンでは初めてウォークマンを着けて走った。しかしレースになると、いくら好きな音楽ばかり入れたとは言ってもやはりペースの事が気になって、練習ジョグの時ほどは音楽に気持ちが向かない。でも、レース中にどうでも良いような邪念が頭を駆け巡るようなことはほとんど無かったように思う。ただ、終盤になって汗のせいかしばしばずれるようになって、これがかなり煩わしかった。

結果のタイムで言うと、昨シーズンの3レースに較べると10分ほど良いタイムで走れた。終盤はやはりペースダウンしたが、昨シーズンに較べるとはるかにマシだった。これなら今シーズンはそこそこ期待できるかなと感じさせる内容だった。

終盤のイヤホンのずれが気になったので、その後の福知山と加古川では着けなかったところ、その影響かどうかわからないが期待に反してタイムは落ちた。特に加古川はひどかった。それからは練習でもウォークマンを着けることはあまりなかった。イヤホンを着けて走ることに慣れていないので、出かける時にいつも忘れるのだ。

その後、練習の目的がロングトレイルになったために長い距離、長い時間を走る練習がメインになって、またイヤホンを着けて走る機会が多くなった。淀川河川敷のような単調なところを長く走る時は、音楽を聴いていると気がまぎれて楽に走れるように感じるが、トレイルの場合は注意力が散漫になりそうで、特に下りでは危ないような気がする。また、郊外の車の通る細い道では後ろから来る車に気が付きにくかったりするので、止めた方がいいように感じた。

加古川が終わってからはスピード練習のようなものをほとんどやっていないので、篠山ではあまりペースを意識せずに、体感にまかせて走ろうと思った。とは言ってもやはり、ある程度納得のできる結果はほしい。と言うことで、淀川市民マラソンの縁起を担いでイヤホンを着けて走ることにした。

今回はイヤホンのずれもほとんど無く、違和感を感じること無く最後まで走れたが、タイム的には加古川とほどんど同じで、予想最悪タイムを下回るくらいだった。

これまでの実績から言えば、ロードの単調なコースでのLSD的な練習の場合は気分転換の効果がありそうだが、フルマラソン程度のレースではさほど効果は期待できず(100kmなら効果があるかも知れないが、私は未経験)、トレイルではやめておいた方がいいというところだろうか。
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2013年03月01日

ランニングと文学

山西哲郎氏(立正大学 社会福祉学部 子ども教育福祉学科 教授)は変わった人である。東京教育大学(現、筑波大学)で箱根駅伝を走り、指導者としても箱根駅伝に出場されたが、その後は陸上競技のメインストリームではなく、市民ランナーのカリスマのような存在としての活動を今も続けておられる。ランニングの『文化』としての質を高めようという氏のスタンスは、『陸上競技』をかなりのレベルまで実践された人としては珍しい部類に入ると思う。

氏はその著書『山西哲郎の走る世界』で、『登山の世界では文学として質の高い著作品がたくさん生まれているが、ランニングの世界では技術書、大会説明書、啓蒙書の領域を出ていない』と書かれている。この本が出版されたのは1991年だが、20年以上たった現在でもその状況はあまり変わっていないように思える。

登山家にして名文筆家という人はこれまでに何人も登場している。『山岳文学』という言葉もあるくらいで、文学のジャンルの一つとして世間一般に認知されていると言っても良いだろう。イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーはその象徴のような人物で、超一流の登山家にして、文筆家としてのクオリティも一流である。彼の書いた著書は文学賞も得ている。記録としての価値だけではなく文章としても味わい深く、何度も読み返したくなるような緊張感のあふれる表現力は、ただただ素晴らしいとしか言いようが無い。

フランスのガストン・レビュファは、アルプスでのクライミングを主体とした『星と嵐』をはじめとして名著を何冊も残しているし、日本人でも松永敏郎さんや佐伯邦夫さんの文章は、その登山スタイルと同様に格調が高くて素晴らしいと思う。

1988年のカルガリー・オリンピックで、8000m峰14座登頂を果たしたメスナーとククチカに対して特別メダルの授与が決定されたが、メスナーは『登山はスポーツではない』という理由で受賞を拒否した(ククチカが受け取ったのは銀メダルだったそうだが、メスナーやククチカが銀メダルなら一体誰が金メダルに値するのか? メスナーはマラソンに例えてみればザトペックやアベベのような存在だろう)。

登山がスポーツか否かは各人それぞれの考え方や感性があり、用語の定義も人それぞれだと思うので、一般論として定義づけることはムリがあると思う。個人的には『スポーツ的な面もあれば、スポーツでない面もある』という曖昧な表現にならざるを得ない。ただ、時代の変遷から考えると、冒険から始まって、次第にスポーツ的要素のウェイトが高くなってきているようには思う(ただし日本では山は冒険というよりは信仰の対象だった)。

さてそのスポーツだが、残念ながら私は『一流スポーツ選手にして名文筆家』という人を、寡聞にして知らない。もちろんここで言う『一流スポーツ選手』というのはオリンピックでメダルを取るくらいのレベル、もしくは国内ではトップレベルの選手のことであって、趣味でスポーツを楽しんでいる人のことではない。

メスナーの味わい深い文章に較べると、スポーツ選手の著した回想録のようなものはおしなべて平板な感じで、すでにわかっている事実の表面的な再録でしかないようなものがほとんどだ。もちろん、君原選手がメキシコ・オリンピックのマラソンで、終盤便意に苦しんでいたというようなことは後になってから初めてわかることだが、だからと言ってその文章をわくわくしながら読めるかと言えばそうではない(『マラソンの青春』の文章を書いたのはおそらくゴーストライターだと思うが)。

ソウル・オリンピックの代表権がかかった1988年3月のびわ湖毎日マラソンで、すでに全盛期を過ぎていた瀬古利彦選手が、レースの終盤でかつては見せたことが無かったような苦悶の表情で走っていたことを、テレビカメラははっきりと捉えていた。この時の瀬古選手の気持ちはおそらく言葉でうまく表現することはできないだろう。

もっと昔で言えば、東京オリンピックで円谷選手が競技場でヒートリー選手に抜かれたシーン。父親からの言いつけを守って、後ろを振り返らなかったから抜かれたというような論評もあるが、あの表情を見る限りは振り返っていたら逃げ切れていたとは到底思えない。もしそれだけの余裕があったのであれば、抜かれた後に抜き返したはずだ。

その後、円谷選手は、史上最も崇高な遺書と言われる文章を残して自殺したが、東京オリンピックでの走りを素晴らしい文章で表現できたかというと、それは疑わしい(この遺書に匹敵するレベルの文章を残したのは、北鎌尾根で遭難死した松濤明氏のそれであろう)。

やはり生の映像に勝る興奮は無いのだ。少なくとも競技スポーツの世界に於いては。

今でこそエベレストの頂上までテレビカメラが上がる時代になっているが、メスナーの全盛期の頃はテレビカメラはベースキャンプかせいぜい前進キャンプの途中までで、登頂の瞬間を映像で捉えるということはできなかった。登山者自身がハンディカメラで撮影するということはあったが、それもおおおむねわずか数分程度で、頂上からぐるっと周りを映したようなもので、とても映像作品と言えるクオリティのものではなかった。
それにメスナー自身も単独行が多かったので、テレビクルーの同行などは好まなかっただろう。

となると、やはり文章を読んで、そこから自分のイマジネーションを膨らませるという作業が必要になって、おかげで、陳腐な映像よりも楽しめるということになるのかも知れない。

スポーツ選手の著作で言えば、カール・ルイスの著書は出色の出来映えだと思うが、これらはジャーナリストのジェフリー・マークスの力が大きいだろう。選手自身が書いた作品よりも、スポーツジャーナリストのような人が選手のことを記した作品の方に良いものが多いように思う。ただ、メスナーの著書のような『文学作品』と呼べる内容かと言うと、ちょっと違う気はする。どちらかと言うと『伝記』というジャンルに近いように思える。


ブログが普及するようになってから、自分の文章をインターネットに公開する人が飛躍的に増えた。何らかの趣味を持っている人はたいがいそれがテーマになっている。もちろん、ランニングや登山をテーマにしているサイトも数え切れないくらいある。

さほど多くのサイトを見たわけではないのだが、漠然とした印象としては、ランナーよりも登山者の方に内容の質の高いサイトが多いように思える。ランナーのサイトはそのほとんどが単なる練習日誌とレースの結果報告で、それ以外は仲間との宴会や家族の話題などにとどまっている。残念ながら読ませる内容のあるサイトにはあまり出会わない(自分の事は棚に挙げておいて・・・)。

それに較べると登山者のサイトは単にコースの紹介だけでなく、季節の事やその山にまつわる話題などのプラスアルファがある。もちろんすべてという訳ではないけれど。私自身、多少の登山経験があるので、感情移入しやすいという面はあると思うが、スポーツ志向の人と登山を好む人のメンタリティの違いのようなものが何かあるのかも知れない。

私自身は29歳で初マラソンを走って市民ランナーデビューをしてから、かれこれ28年ほど走り続けている。本格的な陸上競技の経験は無く、55歳で地元のクラブに入るまではずっと一人で走ってきたので、ただのジョガーである。でも参加したレースの記録はずっと残しており、タイムや順位などの数字だけではなくて、簡単なコメントも残してきた。
しかし、レースを終えるといつも『何かもう少し中身のある文章を残しておきたい』と思いながらも、いざ書こうとすると結局通り一遍の『キツかった』とか『頑張った』とかいうような陳腐な言葉しか残せていない。

しかし少し考えてみればこれは当然のことかも知れない。登山は短かくても1日。ヒマラヤ遠征などになると何ヶ月にも及び、たとえ1日でも景色や天候の変化もあれば、行動中に得られる情報量もかなり多い。

それに対してロードレースなどは、特に一流選手になるとマラソンでも2時間少々で、しかも景色を眺めている余裕などあるはずも無い。トラックレースなら競技場の中をぐるぐると何度も回るだけ。これで深みのある文章を書けという方が無理な話だろう。
むしろ4時間以上かかって走るようなファンランのランナーの方が味のある文章を書けるのかも知れないが、そういうレベルの人ではいくら文章がうまくても、トップ選手の心境とはまったく異なったものにならざるを得ない。

そういう意味ではランナーのブログの内容が、自己満足と仲間内だけでの盛り上がりのレベルからなかなか脱却できないのは致し方の無いことかも知れない。

しかし、人並みはずれて運動オンチだった私が28年間も走り続けてこられたのは、ランニングという行為にそれだけの魅力があったからで、それを言葉で表現することは不可能ではないはずだ。もちろん、本当の楽しさはやはり自分で体感してみなければわからないものだが、山岳文学を楽しんでいる人がすべて登山者という訳ではないように、自分では走らない人たちが、文章によってランニングの魅力に惹かれるというようなことがあっても良いと思うのだ。ただ残念なことに、そういう事例にはまだ出会ったことが無いのだが。
posted by まつだ at 21:48| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月25日

まぼろしのおんたけウルトラトレイル

7月のおんたけウルトラトレイル100kmが今年のメインイベントになるはずだった。

が、何と、すでに定員オーバーで締め切り!!!!

昨年はエントリー開始が3月で、記録を見る限りでは定員より参加者数が少なかったので、今月始めにエントリー受け付けが開始されたのを知った時も、まだあせる必要は無いと思っていた。

ところがところが、実はエントリー開始からほんの数日で一杯になってしまっていたようで、エントリー開始を知った時もすでに締め切りを過ぎていたのかも知れない。

すでに締め切りということを知った直後はショックで、あわてて代わりのレースを探したりしてみたが、落ち着いてくると『まぁ、いいか』という気持ちになってきた。今さらどうしようもないし・・・。この歳になるとこういうレベルの大会は年々ハードルが高くなるので、1年1年が勝負になる。できるなら早いうちにトライしておきたいのだが。

このところのランニング大会のエントリー料金の高騰に伴って、ロングトレイルの料金も非常に高くなっている。来年のUTMFは3万円以上するらしい。そんな中ではおんたけウルトラトレイル100kmの1万円は他に較べると割安かも知れない。鯖街道も1万円だった。

私が今、本当に一番やりたいことは、実はレースではなくて、日本アルプスなどの高山の日帰り登山である。例えば水晶岳日帰りや、槍穂高日帰り縦走、南アルプス聖岳から光岳への日帰り周回などだ。

これらはすべて自分のスケジュールと天候で好きな時にできるので、レースのように悪天でも強行というようなことをやる必要が無い。それに何と言ってもかかる費用は自分の交通費と若干の食料費だけだ。レースに1万円以上もかけるくらいなら、そのお金をこちらの交通費に回した方がよほど意味がある。

とは言っても、はやり自分の限界を打ち破るためにはレースという環境を完全に捨てるわけにはいかない。私のようにメンタルの弱い人間は、自分一人の意志力だけではどうしても限界を超えることができないのだ。そのためにはやはりたまにはレースで限界にチャレンジしなければならない。

日本アルプスまで出かけるとなると、もはやトレイルランニングというよりは登山の範疇だ。危険に対するリスクヘッジも、生駒や六甲に出かけるのとはレベルが違う。そのためにはやはりより強靱な体力と精神力を備えておく必要があるのだ。私がレースに出場するのはそのためと言っても過言ではない。

ただ、正直なところいくらロングトレイルとは言っても、レースに1万円以上の参加費を払う気にはなれない。参加費に1万円払ったのは、30年近いランニング歴の中でも今年の鯖街道が初めてのことだ。

ロードレースでも、レースの運営に大きなコストがかかっていることはわかる。参加費が高くなってからは、参加賞のTシャツなどの品質がアップしているのも事実だ。イベントとして盛り上げる仕掛けがいろいろとなされていることもわかる。

しかし、私個人の意見で言えば、そんなことはどうでも良いのだ。はっきり言って参加賞なんか無くてもかまわない。と言うか、そんなものいらないからもっと参加費を安くしてくれと言いたいくらいだ。

ランニングは始めた頃は、レースの参加費はフルマラソンでもおおむね3000円前後くらいだった。ちなみに昨日のマラニックは4000円で、ゴール後は温泉の入浴券と親子どんぶりのサービスが付いていた。ちょっとした参加賞(小さなデイパックと椎茸)。途中のエイドではおかゆのサービスもあった。地域のトライアスロンクラブの主催なので、いくら何でも赤字を出してまではやらないはずだ。手作りの雰囲気が漂うあたたかい大会で、私は大好きである。ただ、初心者にはお勧めできないが。

参加費高騰のきっかけは東京マラソンだと思っている。参加費1万円と聞いたときはいったい誰がマラソンにこんな金を払うのかと思ったが、フタを開けてみれば大人気で、その後の都市マラソンはすべて1万円が基本である。おかげですでにあった地方の大会やハーフマラソンまで、あれよあれよと高騰するようになってしまった。

レース参加の意義を書いているつもりがいつのまにか参加費高騰のグチになってしまったが、こう高くなると練習のためにレース参加というのも気楽にはできない。川内優輝選手のようなわけにはいかないのだ。

大会参加は地元のローカルな大会だけにして、夏場に山へ行く方にコストをかける方がいいかなと思い直したりしている。
posted by まつだ at 16:19| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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