2013年05月14日

『走ることについて語るときに僕の語ること』

唐突だが、私はかなりひねくれた性格である(と思っている)。

とにかく世間での流行やブームと言ったものにまったく関心が無く、むしろ反発すら感じてしまう。われながら『何もそこまで・・・』と思ってしまうのだが、持って生まれた性分は如何ともしがたい。

私は大阪在住だが、このところの大阪駅周辺の賑わいにはまったく関心が無いし、ディズニーランドやUSJ、東京スカイツリーなど、行ったことも無いし行きたいとも思わない。むしろそんな人混みには近づきたくないとすら思う。

そんなわけでここ何年かの、社会現象とも言えるくらいの村上春樹ブームには目を背けていた。

学生時代には粋がってドストエフスキーの全集を集めたりしたが、はっきり言ってただ字面を追っていただけだ。ジャズ喫茶での単なる時間つぶしでしかなかった。

その後はフィクションにはほとんど興味を感じなくなり、小説はもとより映画、ドラマなどもほとんど接することが無くなったまま今日に至っている。

村上春樹の作品ではなぜか『ノルウェイの森』を読んだが、正直言ってよくわからなかった。この作品のいったいどこがおもしろいのだろうかという感想しか持たなかった。ストーリーもまったく覚えていない。

その後の村上春樹ブームはまったく無視でやり過ごしてきたのだが、最近の新刊のブームのせいで、暇つぶしのネットサーフィンをやっていると至るところで村上春樹関連情報に行き当たる。

氏がマラソンランナーであることは漠然とは知っていたけれど、どのくらいのレベルなのか、どれくらい入れ込んでおられるか、ということはまったく知らなかったし、強いて言えば興味も無かった。

ところがたまたま最近見かけたコラムのようなもので氏がマラソンについて少し語っておられるのを読んで、反射的に『これはホンモノだ!』と感じた。運良く図書館で氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』がすぐに借りられたので、さっそくひもといてみた。

あまりのおもしろさに魅了されて、ほとんど一気に読了した。そして読了するやいなや最初のページに戻って、2回目を読み始めた。氏はこの本を『エッセーではなくメモワール』と言っている。確かにいわゆるスポーツ・ノンフィクションではなく、あくまでも氏の個人的な心の動きを語ったものだ。

氏も言うように、作家でランナーという人はかなりめずらしいと思う(ここで言う『ランナー』というのは、客観的な走力は別として本人の気持ちは競技志向で取り組んでいる人のこと。気分転換にジョギングを楽しむだけの人のことではない)。私が知る限りでは他には灰谷健次郎(故人)くらいだろうか。

一般的なイメージとして、作家や音楽家。画家などの芸術家というのは不健康で退廃的な人たちという印象が強い。そうでなければ良い作品を産み出すことはできないとすら思われている。氏もこのことを認識されており、実際にそういう側面があることを肯定されている。

しかし氏の場合はマラソン(もしくはトライアスロン)を続けてきたことが作家としての成長のベースにあって、本当の心の底のドロドロしたものを掘り下げてそれを作品に仕上げていくためにはとてつもない体力が必要で、『不健康なイメージの作品を創り出すためには健康でなければならない』というふうに考えておられるようだ。そういうとらえ方は理屈としてはわかるような気がする。

この本で一番印象的だったのは、氏が自らの老いについて語っておられるところ。氏がこの文章を書かれたのは今の私とほぼ同じくらいの年齢の頃だ。

氏の場合は40台後半あたりから記録の低下が始まったらしい。私は記録の低下という意味ではもう30台後半から始まっているが、体感とのずれが生じるようになったのは50歳を過ぎてから。氏はちょうどこの本を書かれている頃がそういう時期にさしかかっていたように思われる。

一言で言えば『練習がレースの結果に結びつかない』ということ。レースにおいても、終盤に思いもよらないペースダウンに見舞われる。たとえ序盤をセーブしたとしても。

一流選手も引退前のレースはそんな感じだ。瀬古利彦、高橋尚子、有森裕子、高岡寿成・・・。それが『老い』というものなのだ。

ただ幸いなことに、氏や私はプロランナーではないので、どんなに衰えても引退する必要は無い。自分が納得できる限り、走り続けることができる。

調子に乗って、また図書館で『Sydney !』と『意味がなければスイングはない』を借りてきた。私は学生の頃からずっとジャズに親しんできたが、氏も20台の頃はジャズ・クラブのようなものを経営されていた。たぶんそんなことも氏の文章に共感を感じるベースにあるのかも知れない。

これらの感想はまた改めて。

しかし本業の小説を読んでみたいとはまだ思わないなぁ・・・。
posted by まつだ at 10:38| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月13日

ゾーンに入る

スポーツの世界では『ゾーンに入る』という言葉がよく使われる。ゾーンに入っている状態というのは競技の特性(チームスポーツか個人スポーツか、相まみえる競技か記録を争う競技か、など)や個人のメンタリティによって様々だとは思うが、基本的には自分のプレーやパフォーマンスに対する集中力が高まって、周囲にまどわされることなく没頭できている状態のことだろう。

こういう状態というのはスポーツに限らず、音楽や絵画、演劇などの芸術活動、さらに職人工芸的な作業においても生じると思う。ビジネスの世界でも緊張感あふれるような状況では、ゾーンに入ったような状態もあり得るだろう。

私もマラソンでは何度かそういう経験をしたことがある。

フルマラソンがきっちりと走れていた頃は、後半もあまりペースが落ちないのが自分のスタイルだった。それでもだいたいは30kmあたりから少しペースが落ちてくる。ここでのペースダウンを最小限度に抑えられると、35kmからまた盛り返してくる。

ラスト5kmを過ぎるとラストスパートモードに入って、さらに40kmを越えると全力を出し切ろうと踏ん張る。

肉体的には一番きつい状態だが、精神的には非常に充実していて、まるで頭の上の方にもう一人の自分がいて、そいつが走っている自分に対して『最後まで頑張れ!!』と励ましているような気持ちになるのだ。

こういう状態は42.195kmのフルマラソンでしか経験したことが無い。ハーフや30kmではここまで力を出し切るという感じにはならないし、逆に距離がもっと長いと力をセーブしてしまう。かと言って余力を残してゴールしているわけではないのだが。

私がフルマラソンにこだわってきた理由は、これが一番大きいと思う。この感覚をまた味わいたくて、何度もフルマラソンにチャレンジしているのだ。この感覚が味わえれば結果のタイムは大した問題ではない。

しかし残念ながら49歳の時の加古川マラソンを最後に、この感覚には出会えていない。50歳を過ぎてからのフルマラソンでは最後まできっちりと走り切れたことが無いし、トレイルのレースはロードとは感覚が随分違う。

これまでの経験で言うと、こういう感覚はリズムに乗って一定ペースで走れている状態でないと発現しないように思える。だからマラソンでも福知山のような、ラストで急な上り坂になるようなコースではたとえうまく走れていたとしても、おそらくこの感覚は得られないだろう。

また、トレイルで周回コースの場合は初めてだとコースがわからないので、なかなかラストに思い切ってスパートするということができない。ロードレースと違って距離も結構いい加減だし、アップダウンの具合もやはり実際に走ってみないとどんなものなのかはわからない。

トレイルでは、シングルトラックで緩いアップダウンが続くようなところを走っていると(こんな場所はあまり無いのだが)、非常に気持ち良くなることがある。ただこれは、ゾーンに入るというよりはランニングハイに近い感覚のように思う。

クラブに入ってからは、どちらかと言うとレースよりも練習会の時の方が充実感を感じて終われることが多いように思う。

いずれにしてもこのような快感はやはり、自分の限界に近いところまで追い込まないと感じられないはずで、いつまでそんな走りができるのかはわからない。もう最終章に近づいてきていることは間違い無いと思うが。

何とかもう一度マラソンでゾーンに入ってみたい。
posted by まつだ at 18:00| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月08日

ランニングと四季

朝起きてすぐに走りに出るようにしたのは昨年末で、日の出が最も遅くなる時期だった。7時過ぎに家を出ると、東の空にちょうど顔を出したばかりの太陽を輪郭もくっきりと眺めることができた。しかし今は太陽はもうかなり高くまで上がっていて、まぶしくて直接見ることはできない。空気の冷たさもずいぶん和らいできて、春の兆しをはっきりと感じることができる。

ランニングに向いた季節が近づいてきたと言えるだろう。ほとんどの人は春が好きだ。暖かくなることをみんな嬉しく思うようである。しかし私はそうではない。決して寒いのが好きというわけではないが、とにかく暑いのが苦手なのだ。春の兆しを感じると、気持ちは一足飛びに夏の蒸し暑さに向かってしまう。またあの季節がやってくるのかと思うと、憂鬱な気分になってしまうのだ。

桜の時期もうっとうしい。満開の桜を美しいと思わない訳ではないが、普段走るコースには桜の木が随所にあって、至る所人だかりで昼間から宴会である。私は人混みも嫌いなのだ。目的も無く繁華街へ出かけるようなことは絶対に無い。

そうは言っても桜の時期は1週間から2週間程度なのであっと言う間に過ぎ去るが、昨今の長い残暑には本当に苦しめられる。

そういう意味では今頃の季節が一番好きではある。厳寒の時期は過ぎたが、春の暖かさにはまだ少し間があるという時期で、走っても軽く汗をかく程度でちょうど心地よい。

5月に入ると、走ると汗がしたたるほどの暑い日が現れるようになる。しかし里山のトレイルには絶好の季節だ。冬場は寒かった山もこの季節になると空気が穏やかで、樹々の間のそよ風が爽やかで気持ち良い。唯一の難点はイネ科の花粉症の症状が出ること。スギやヒノキは何ともないのだが・・・。

梅雨は嫌いではない。この頃の気温だと雨の中を走るのも悪くないし、土砂降りの中を走っていると、妙に気持ち良さを感じることさえある。

梅雨が明けるといよいよ本格的な夏となる。私の一番嫌いな季節の到来だ。特に蒸し暑いのが苦手で、トレイルに行ってもすぐにバテてしまう。最近はアルプスの3000m近くまで行っても、8月前半くらいなら『下界よりはマシ』という程度でしかない。昨年の8月初旬、七倉から水晶岳を目指して裏銀座の稜線に上がった時も、予想外の暑さに体力を消耗させられて、結局真砂で断念することになってしまった。その前に比良に行った時も、目標の3分の1くらいで早々に敗退してしまった。

9月は下界ではまだまだ残暑が厳しいが、2000mを越える山々は快適になる。しかし天気が荒れると危険な季節だ。好天をつかまえればアルプスランには最高のシーズンである。この時期になると残雪に出会うこともまず無いし、登山者もぐっと減って、人気ルートでも快適に走れるようになる。

10月に入ると3000m近い稜線ではそろそろ雪の便りがやってくるので、それなりの準備をして行かないとメディアを賑わせることになりかねない。しかし里山はまた絶好の季節だ。六甲や京都の北山、比良などは快適である。

下界のランニングが快適になるのはやはり11月になってからだろう。長い距離を走っても疲労感が少なくなってくる。マラソンのレースも11月の声を聞くと一気に増えてくる。

山スキーによく行っていた頃は雪の便りにわくわくしたものだが、陸上クラブに入ってからはとんと行かなくなってしまった。行きたい気持ちが無くなった訳ではないのだが、末端冷え性の症状がつらい。パウダースノーで絶好のコンディションというのは気温が冷え込んだ時なので、滑りには良いが手足は冷えて痛いのだ。

よく行っていた頃は暖冬で雪不足のシーズンが続いていたのに、行かなくなったら雪の多いシーズンが続いているというのは何とも皮肉なものだ。

日本ではマラソンシーズンは冬だ。昔はいつも四国や九州など、関西より西の方のレースばかりだったので、冬と言ってもさほど寒い思いをしたことは無かったのだが、最近は遠出するのがもったいないので近場のレースばかりである。おかげで非常に寒い日に出会うこともしばしばで、昔はレースではランパン、ランシャツと決まっていたのに、最近はロングTシャツとロングタイツなんてこともめずらしくない。まぁ、ムリして寒い格好をすると、体温を維持するために余分なエネルギーを消費するようなので、適度に暖かくした方が理にかなっているとは思うが。

今週末はまた六甲へ行こうと思っている。先月は寒くて、雪がしっかり残っている所もあったが、今週末はそういうことはないだろう。雪は少しは残っているかも知れないが。2週間後はいよいよ六甲縦走キャノンボールなので、今度は何とか8時間くらいで余裕をもって走り終えたいところだ。
posted by まつだ at 15:29| Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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